2021/09/18 18:49


現代では、社会保障や福祉を充実させよと主張するのが左派・リベラル。 一方、行き過ぎた社会保障や福祉が民衆の相互扶助精神をスポイルするという立場に立つのが保守や右派とされています。  いくらなんでも、中世・近世に逆戻りして、大金持ちの篤志が福祉の代替となったらこの世の地獄じゃないですか。保守を自認するならば民衆の相互扶助の先頭に立ってその精神の旗振りをすべきだと思うんですけど、ヤクザ屋さんの災害ボランティアの方が目立ってるじゃないですか。あの人たち保守ですか?右翼とは割と親和的だとは思いますが。

こうなると、どう考えても保守思想なんてのは、為政者の責任放棄と抑圧強化のための方便としか思えないのです。 角度を変えて見ても、大金持ちがさらなる金儲けをするための屁理屈。 さて、保守思想とは屁理屈なのでしょうか。 人間は必ず失敗する。 ならば原発はどうなのか? 人間は必ず失敗する。 ならば、手厚い社会保障が必要では? 屁理屈にはそんな屁理屈を返してみたくもなります。


かつて、日本におけるハードコアの黎明期に、The Comesというバンドが存在していました。彼らのアルバムのタイトル曲を引用します。

The Comes - No side 平等一本やり 天から下った平等の概念 人権などは いつわりだ 民衆の拘束 手段にすぎない みずからそれをこわす No Side

楽曲そのものは今聴いても瑞々しい、鮮烈な印象を放っていますが、歌詞は少し古めかしい気がします。 といっても、若い方などなんのこっちゃ?と思うかもしれません。 人権が偽り?ネトウヨか!と驚くかもしれない。 もっとも私だってそこまでおっさんでもないので、文献で見知っただけなんですが、噛み砕いて説明します。

これは要するに、戦後民主主義に乗っかかる旧左翼(もっとずばり言ってしまえば日本共産党)の体質を批判しているわけです。

だから「人権などは いつわりだ」と歌っているわけです。まさか、Comesが権力者の抑圧を賞賛しているわけがありませんから。 反権力が新たな権力構造を産むと。 確かに、日本共産党が大きな力を持った当時、これには一定の説得力がありましたが、 今の時代にそういった形での共産党への批判はあまり意味はありません。

人権や戦後民主主義への真摯な批判が、いつの間にやら人権そのものの軽視に摩り替わってしまった現代日本。 理想主義なんてそんなものかもしれません。

もし、今Comesが活動していたら、我々を取り巻く抑圧に対して、どのような批正の声をあげたでしょう。 そんなことをイメージするのも、歴史的な名盤を聴く醍醐味だったりします。

この画像懐かしい。ネット黎明期、Kill from the heartという80sハードコアのアーカイヴサイトの編集者に送ってあげたものです。