2019/05/04 03:01

元スターリン、最近では弾き語りを中心に活動していた遠藤みちろうさんが亡くなった。
74年生まれで、ザ・スターリン(ザ・がつかない方はリアルタイム)は完全に後追いで知った自分だけど、中高生の頃はそれこそ心酔していた。
徳間から出ていた虫とstop japの2イン1をレンタルしたのが最初だったと思う。
テープに録ってそれこそ伸びるまで聴いていた。
俺は今でいうスクールカースト最下層のコンプレックスの塊みたいな少年だった。
そのくせ、クラスのやつらは全員バカにしか見えなかった。
そいつらに対して、「お前らはこんな凄い音楽を知らないだろう」と全能感を満たしてくれたのがスターリンをはじめとした、パンク・ロックやニュー・ウェイヴのバンドたちだった。
自殺もせず、人も殺さず生きてこれたのはそれらの音楽のおかげだったと思う。

とはいうものの、色んな音楽を掘り返して行く中で、自分なりに耳が肥え、とりわけ日本のそれらパンク・ロック・バンドとは疎遠になって行ったのも事実だった。
聴いて懐かしくは思う。が、当時のように夢中にはなれない。違和感を覚える。
その違和感とは、歌詞やバンドの世界観に対してではない。
そこに違和感を覚えだすのは、音楽観が広がっていく中で、10代のころ夢中になった音楽を否定する後期中二病の症状である。
それはもういくらなんでも寛解している。自分も40代半ばなので。
自分が感じる違和感とは、リズムのオモテにアクセントを置いた日本のバンド特有の縦ノリのビート感に対してである。











日本のバンド特有のビート感と書いたが、それは明らかにこのバンドからの影響だろう。
セックス・ピストルズも、ダムドも、ハートブレイカーズも、ここまであからさまにこのダダダダダっていうビートは刻んでいない。

ロックンロールとは要するに縦ノリと横ノリのクロスオーヴァーなわけだが、このダダダダダという完全に縦ノリだけのビート感はロックンロールの解体を目指すパンクらしいっちゃあらしい。
ちゃんと聴けばわかるけど、ラモーンズにはただの一ミリもロックンロールの要素はない。あれは完全にパンクである。
ベースのスラップは、実際にファンクではたまにしか使わないのに、ミクスチャー・ファンク・メタルバンドたちはこぞって多用する。同様に、日本のパンク・バンドの間では、パンクといえばダダダダダと刻まなきゃというステロタイプが出来上がっていたんじゃないだろうか。
つまり様式化なわけだが、様式美が悪いわけではない。退屈なのは、様式化しているという自覚もなしになし崩し的に型にはめられることだ。それは、自分らを型にはめて遊ぶのあえての自由な精神からは程遠い。わ、俺後期中二病まだ完治してなかったか 笑


パンクの流れを汲む音楽から気持ちが離れつつあった頃に知った、プロト・ハードコアのUS 80sパンク・バンドたち。
ジャズからソウルからハイライフからカリプソからクンビア、はてはジャイポンガンに至るまで様々なリズムに聴きなれた今でも、この辺りのバンドのダイナミックなリズム感覚は面白い。